
日米野球のタイムライン

1872年に日本に野球が伝わってから現在に至るまでの野球年表です。野球の世界からみた日米関係の歴史を見ていきましょう。
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1878年:平岡凞(ひらおかひろし)が日本で初めての野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を組織する。
銀座「二見館」, Public domain, via Wikimedia Commons


1896年: 第一高等学校が横浜クリケット・アンド・アスレチッククラブに二度勝利した。敗れた横浜クリケット・アスレチッククラブはアメリカのUSS Olympiaを呼び第一高等学校との試合を持ちかけたが、この試合でも第一高等学校が勝利した。外国人相手に勝利を収めたということで、この勝負は日本で記念碑的な意味を持つ。
National Museum of the U.S. Navy, Public domain, via Wikimedia Commons
1908年: A.J.リーチ社がアジア大陸を横断する「オリエンタルツアー」を実施し、アメリカ人選手による日本での遠征が初めて行われた。チームは主にパシフィック・コースト・リーグの選手で構成された。日本滞在中、チームは17勝を挙げた。
『早稲田』(早稲田大学出版部、1909年), Public domain, via Wikimedia Commons


1920-1934年: この頃日本各地にさまざまなプロ野球チームが誕生し、1934年に大日本東京野球倶楽部が結成されたことで大きな盛り上がりを見せた。このチームは、他の野球チームからのオールスターメンバーで構成され、最終的に読売巨人軍となり、今日に至る。
『日本の野球史』(広瀬謙三、日本野球史刊行会、1964年), Public domain, via Wikimedia Commons
1934年: 以前にもアメリカ野球チームの遠征はあったものの、この年に初めて日本のオールスターチームが参加した。50万人の日本国民が観戦し、ベーブ・ルースなどプロリーグの有名選手を擁するアメリカのオールスターチームを歓迎した。
『アサヒグラフ』 1951年新年号, Public domain, via Wikimedia Commons


1935年: 大日本東京野球倶楽部がアメリカ、カナダで遠征を行った。大日本東京野球倶楽部は読売巨人軍の前身となるチームで、水原茂などが所属していた。
ベースボール・マガジン社(Baseball Magazine Co. Ltd), Public domain, via Wikimedia Commons
1936年: 日本初のプロ野球リーグ「日本野球連盟」が結成され、1949年まで運営された。
shiori.k on Flickr (Original version) UCinternational (Crop), CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons


1939-1945: 第二次世界大戦の影響で、シーズンを春季と秋季に分ける2シーズン制が採用され、1939年には通常の104試合から96試合に試合が統合された。1940年には104試合、1941年には84試合、1942年には104試合、1943年には84試合、1944年には35試合と試合数は増減を繰り返し、1945年にはついに試合が一試合も行われなかった。
Robert Ross Smith, Public domain, via Wikimedia Commons
1949年: フランシス・ジョセフ・オドールが、第二次世界大戦後の日米間の架け橋となるべく、サンフランシスコ・シールズを率いて日本で遠征を行った。計10回の試合には延べ50万人の観客が集まった。
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1950年代: アメリカのMLBにヒントを得て、日本は野球のリーグをパシフィック・リーグとセントラル・リーグに分けた。各リーグには7チームが所属し、シーズン終了後に両リーグのチャンピオンによるワールドシリーズが行われることになった。
Immanuel Giel, Public domain, via Wikimedia Commons
1951年: フランシス・ジョセフ・オドールがジョー・ディマジオなどの著名選手が在籍したアメリカのオールスターチームを率いて日本に来日する。このツアーは、日本のプロ野球チームが初めてアメリカのプロ野球チームに勝ったということで注目された。
『アサヒグラフ』 1951年新年号, Public domain, via Wikimedia Commons


1953年: フランシス・ジョセフ・オドールがニューヨーク・ジャイアンツの日本遠征に参加し再び来日。この遠征は、MLBの一チームが初めて日本を訪れたこと、ジョー・ディマジオの新妻で有名女優のマリリン・モンローが同行したことで注目された。
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1962年: リトルリーグ・ワールドシリーズに日本が初出場。当初は「ナショナル・リトルリーグ・トーナメント」と呼ばれていたが、その後改名された。
Senior Airman David Owsianka, Public domain, via Wikimedia Commons


1964-1965年: 村上雅則(むらかみ まさのり)が日本人初のメジャーリーガーとなる。1964年から1965年までサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーした。
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1995-2008年: 野茂英雄(のも ひでお)が複数のMLBチームでプレーし、最も優れた日本人選手の一人として知られるようになった。野茂は、ロサンゼルス・ドジャース、ニューヨーク・メッツ、ミルウォーキー・ブルワーズ、デトロイト・タイガース、ボストン・レッドソックス、タンパベイ・レイズ、カンザスシティ・ロイヤルズでプレーした。
Ryosuke Yagi, CC BY 2.0, via Wikimedia Commons


2001年-2019年:イチロー(鈴木一朗)がメジャーリーガーとなり、日本人選手の中で最も成功した野球選手の一人となる。シアトル・マリナーズ、ニューヨーク・ヤンキース、マイアミ・マーリンズでプレーした。
D. Benjamin Miller , Public domain, via Wikimedia Commons
2007年: リトルリーグに日本地区が創設された。それまではアジア太平洋大会で優勝しなければ世界選手権に出場できなかったが、日本地区が作られたことによって、全日本選手権の優勝チームが直接、世界大会に出場できることになった。
Senior Airman David Owsianka, Public domain, via Wikimedia Commons


2009-2021年: 日本女子プロ野球機構が設立された。(旧名:株式会社日本女子プロ野球機構)日本における唯一の女子プロ野球のリーグであったが、視聴率の低下やスポンサーの不足により2021年に無期限の活動休止が発表された。
Sakuraikubuki, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons
2012年-現在: ダルビッシュ有がメジャーリーグ入りし、日本人選手としてトップクラスの活躍を見せる。過去にはテキサス・レンジャーズ、ロサンゼルス・ドジャース、シカゴ・カブスにてプレーしており、現在はサンディエゴ・パドレスに所属している。
D. Benjamin Miller , Public domain, via Wikimedia Commons


2018年-現在: 大谷翔平が MLB に加わり、2018 年の新人王と 2021 年の MVP を受賞しました。彼は MLB ザ ショー 2022 の表紙の注目選手となり、人気ビデオ ゲーム シリーズの表紙を飾った初の日本人選手となりました。 2024年にロサンゼルス・ドジャースと契約した。
Mogami Kariya, CC BY-SA 2.0, via Wikimedia Commons
2023年: ワールド・ベースボール・クラシックで日本が優勝し、2006年以来初めて米国を破る。大谷翔平選手がロサンゼルス・エンゼルスにおいてチームメイトのマイク・トラウト選手と対戦し、大谷選手トラウト選手を三振に仕留め、日本に優勝をもたらした。
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